6月18日大阪の国立文楽劇場にて文楽鑑賞教室を観劇。

文楽鑑賞教室というにふさわしく、当日は小学生高学年とおぼしき一団が多数来場している。
さぞ騒がしいことと思いきや、意外と皆さんおとなしく鑑賞なされている。自分の子供時代と比べてその違いにちょっと驚く。
自らを振り返れば、高校時代の歌舞伎鑑賞。京都の南座だったけれど、あまりの騒がしさに館内放送で静かに鑑賞して下さいと注意されました。もちろん、演目も覚えていません。その時の印象が悪かったからか、映画や演劇には足を運ぶのに(高校時代は映画部でした)古典芸能にはとんと関心が薄い人生を送ってしまいました。
今から思えば、もっと若い時に道頓堀で文楽を見ておけばよかった。越路大夫さんや津大夫さんの浄瑠璃を生で聞けたのに。

本日の演目は、『二人三番叟』と『菅原伝授手習鑑 寺入りの段 寺小屋の段』。間に『解説 文楽へようこそ』が入ります。
文楽鑑賞教室は期間の前半と後半および午前の部と午後の部で演目は同じながら縁者が変わります。
私の鑑賞したときは解説は人形遣いの吉田蓑太郎さんでした。元気な小学生が三人舞台に上がって人形遣いに挑戦していました。我々の子供時代と違ってうじうじしたところがなく、見ていて気持ちのよいものでした。文楽協会も技芸員さんも若い文楽ファンを育てようと努力しておられるのがよくわかりました。ここから文楽に興味を持ち、やってみようと思う若い人が出てくることを願います。

本日の文楽は菅原伝授手習鑑

さて、お待ちかねの『菅原伝授手習鑑』。私の見た会は、浄瑠璃が「寺入りの段」は豊竹亘太夫、「寺子屋の段」が前が豊竹睦太夫で後が竹本小住大夫。人形は松王丸 吉田玉佳、武部源蔵 吉田勘市、戸浪 桐竹紋秀、千代 吉田一輔、よだれくり 桐竹勘助。

小住太夫さんは朗々としたお声でなかなか聞かせる浄瑠璃。玉佳さんの松王丸が堂々としていて大変によかったです。特に松王丸の出のところ。駕籠から出てきた松王丸が大きく見えて舞台を圧倒する感じでした。

今回の寺子屋の段は、子を思う親(松王丸と千代)の心情がよく出ていて、見ている方も具合よく感情移入でき泣かされました。

寺子屋に限らず、文楽ではよく子殺しが題材として取り上げられるけれども、今の観客としては、どんな事情があろうと我が子(まあ、我が子に限らず子供をですが)自らの手で殺したり、死なざるをえない状況に追いやるというのはとても納得できるものではなく、感情移入しがたいところではあります。
これらの作品が書かれた江戸時代では、乳幼児の死亡率は今よりも遙かに高く、文楽の主な受手である江戸期の庶民にとっては子を亡くすという経験をした人も多く、感情移入しやすかったのかとは思います。それでも、自然死・事故死で子を亡くしたのであって、文楽で取り上げられるような殺人はレアケースであり、レアであったればこそお芝居の題材になっているのでしょうけれど。

いずれにしても、今の観客として子を亡くした親や子を思う親の心情に感情移入し感動するしかのないのであって、子を殺すという状況に至った(あるいは至らざるを得なかった)親の心情ということになると、根本のところで強い違和感を抱いてしまいます。

こういう演目を小学生や中学生も対象とした文楽鑑賞教室でやるのはいかがなものなんでしょう。
出来れば、今日来ていた小学生たちに感想を聞いてみたいものです。これがトラウマになって古典芸能に拒否反応を起こしたりしないのかしら?といらぬ心配をしてしまう私です。

帰りには定番の梅田阪急によりました。


地下食品売り場の『フリュテリー果坊』の「くじゅれ」を購入。
この季節は琵琶と桃の「くじゅれ」がおいしい。葛とフレッシュな果物のバランスがなんともいえませんなあ。



投稿者

hama

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